Team チームあはひ
野宮 有姫
詩作/構成
Yuki Nomiya
本作全編に渡る構成・演出、および、本作の”言葉”全体の執筆・監修。
幾重にも重なる土地の記憶を、連作詩的に言葉で紡ぎ、語り継ぐ物語として構成・演出。
日本の伝統的な農村集落の人と自然の織りなす空間・時間に確かに存在する、あいまいで、美しく、畏れ多くて愛おしい感覚を、言葉と言葉の”あわひ”にて表現する。
Profile
東京都出身、詩人。企画団体シックスペース代表。青年団演出部所属。場のこえ・ひとのこえを活かした演出で、様々な分野のひとたちと、演劇や立体詩、その他ジャンルを越境した共同創作作品を製作している。過去作に、無隣館若手自主企画野宮企画「イチゾウ」(2019年)詩作・演出、詩劇「響きと怒り」(2021年)ドラマトゥルク・作詞、絵本「カイジュウのいない町」(2020年)など。作品製作の他に、高校演劇部の指導員や、身体と言葉をテーマにした社会人向けのワークショップ・食とエンターテイメントのイベント主催など行う。2020年より、西会津と東京を往来しながら活動。まちめぐりえんげき「銀河鉄道の夜」構成・総合演出等、西会津国際芸術村を拠点に演劇作品を手がける。
<ノミヤユウキ:https://note.com/sippe60_n/ >
YUKI NOMIYA
中澤 ナオ
映像・音
Nao Nakazawa
映像作家・音楽家・アーティストとして活躍する中澤ナオは、集落での滞在を通して自身が捉えた、土地の記憶や繊細な変化を感じる素材を集め、映像や音・光によって表現する。未来・現在・過去の記憶を彷彿とさせるイメージが、光の粒子の集合体に落とし込まれ、集落に流れる特異な時間と空間に没入する演出効果となる。
Profile
長野市出身。高校卒業後、1996年に渡米。2001年にカリフォルニア大学サンタ・クルーズ校映画科卒業後、サンフランシスコ周辺のプロダクションにて、カメラ技師やビデオ編集などを経験。多くのテレビ番組、映画、企業ビデオ、ドキュメンタリーの製作に関わってきた。2014年にサンフランシスコ州立大学大学院映画科を卒業。現在、米国と日本で活動中。自身の作品では長編、短編映画、実験映像、アニメーションなど制作してきた。多種にわたるプロダクション技術を用いて、フリーランスとして活動している。主にプロデュース、録音技師、撮影、サウンドデザイン、編集、カメラアシスタントとして多くの作品を手がけてきた。日本では、アソシエートプロデューサー、録音技師、そして通訳など幅広く、海外の制作会社による日本で行われる撮影に関わっている。
<NAO NAKAZAWA:http://www.naonakazawa.com/about-1 >
NAO NAKAZAWA
佐藤 千裕
料理人
Chihiro Sato
美味しいことと、健康な食の繋がりを実感させる料理人。
シンプルであるが、素材の本質や奥深さを引き出すことを目指した食を提供してくれる。
本作においては、地域の食材を駆使しながら、場面々に適した食の体験を提供することを目的とした料理構成とし、
素材の力と土地の力を融合させ、「風景を食する」物語を“配達”する。
Profile
KIHACHI銀座店で魚料理部門とデザート部門で修業を積む。新潟に移住後は結婚式場でウエディングケーキや婚礼デザートなど数々のオーダーメイド案件を手掛け、その後、食養法について学びを深める。
農家さんから仕入れる旬の素材の持ち味を生かす料理を得意とし、家庭でも手軽に作れるやさしいおやつレシピの連載やアレルギー対応メニューの研究開発なども行う。その他、キッチンカー運営、ケータリング、2018年からは、規格外農産物をいかし、地域社会の中でおいしい循環の仕組みをつくる、「農×福×食連携『rucoto(ルコト)』」をスタート。豊かな自然を未来に残すために、食の分野から何ができるのか日々奮闘中。
<rucoto:https://cskitchen.shopinfo.jp/pages/3690616/rucoto >
CHIHIRO SATO
滝澤 徹也
美術家
Tetsuya Takizawa
滝澤の和紙をミディアムとした一連の作品群は、自然そのものが創り出す美しい造形のように、自然に寄り添う制作プロセスによって生み出される。
楢山集落においては、敷地内の池に入って制作されたサイトスペシフィックな作品が仕込まれており、場所の絶対的な価値を高めることに寄与しており、土地の記憶を顕在化させてくれる。本作においては、様々な場面でその創造が散りばめられている。
Profile
1977年東京都生まれ、西会津町在住。美術家、和紙職人。2005年、東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻版表現卒業。2009年「小川和紙」の技術継承者育成事業を修了後、東京都無形文化財「軍道紙」の再生に関わる。場の歴史や自然と人間の物づくりの営みの関係をテーマに日本のみならず海外など各地に滞在しながらや絵画や紙を媒介とした制作、展示を行う。2011
International paper art exhibition (台湾)、2013 個展GANGA・PAPER (インド)、AOMORI PRINTトリエンナーレ2014,
2016森の箱舟アートプロジェクト 森を漉く(西会津)など。福島県地域おこし協力隊出ケ原和紙担当を経て、和紙職人として伝統の継承を担う傍ら、美術家として自然に寄り添った新たな創作の可能性について日夜研究している。
<Tetsuya Takizawa:http://tetsuya.main.jp/word/ >
TETSUYA
TAKIZAWA
山口 佳織
制作・室礼
Kaori Yamaguchi
ちいさな仕掛けで空気をゆらすアーティスト。
”あはひ”に存在する確かには見えない価値を捉えることを得意とし、
室礼により、物語の世界を醸すことを目指している。
本企画においては発案・プロジェクトマネージャー、制作および舞台監督的役割や美術・装飾等を担当している。
Profile
名古屋出身、西会津町在住のアーティスト。NIPPONIA楢山集落室礼担当/西会津商店店主。インスタレーションを主とした現代アートを制作。2009年より13年続くグループ展の企画発案主催(-2020)。その他、広告やインテリアなどのデザイン、衣装制作、イベント企画など活動はジャンルを問わない。アートチーム「こととか」のメンバーとして西会津国際芸術村に関わりはじめ、定期的な滞在活動を経て西会津へ移住。日本風土文化を好む一方で国や時代を超えたシームレスな感覚を以って新・風土性を感じさせる様々な視点から、目に見えるだけではないその場の"室礼"を整えることを生業としている。NIPPONIA楢山集落では、雲海をも望める山並みの風景と、集落を守る山の神様、それを取り囲む森に囲まれたこの場所にふさわしい空間を生み出している。
<西会津商店:https://www.instagram.com/nishiaizu_shouten/ >
KAORI
YAMAGUCHI
八幡 一生
WEBディレクター
ブランディングデザイナー
Itsuki Yawata
多言語・多文化・習慣への深い探求から、ローカルかつグローバルなデザインを手がけるデザイナー。制作チームのコンセプトがweb上でも体感的に伝わるよう、映像やアニメーションを駆使し、言葉にならない”あはひ”という感性を表現する。八幡が制作するwebページは、参加者が語り継ぐ物語としての「ならやま凮土譚」の表紙でもある。
Profile
ベネズエラ生まれ、南米を始め、イギリス、アイルランド、中国、台湾、中東、日本などでブランディングやデザインの仕事を経験。株式会社mottomoを経営しながら、ブランディングの視点を
生かし、企画、映像プロデュースをしたプロジェクトが多く、ブランディング/デザイン(アプリ、Web)/国際PR・マーケティング軸に多くの日本と海外の中小企業や国内行政にコンサルティング、ブランディング、デザインのお手伝いをしながら、クリエティブを通して
世界に向けた企画、プロデューサーとして幅広く活動。
Good Design Award(日本)授賞。
<mottomo:https://www.mottomo.co.jp/ >
<Design:https://www.behance.net/mottomo >
ITSUKI YAWATA
矢部 四郎太
Shirota Yabe
教育者でありながら地域の経済再生まで行う篤志家。四郎太先生が残した数々の逸話や記録、楢山矢部家の歴史等、四郎太先生が残した沢山の資料や彼の生き方は「ならやま凮土譚」の骨格を成している。近隣の分校で長年教鞭をとっており、生徒や父兄からも信望が厚かったが、常に落ち着いた態度で物怖じせず、本質を見抜く眼光が鋭いため畏れられてもいた。動物と仲が良く話すことができたという逸話も残る。雅号を酔夢といい、書や絵にも興じ、酒が好きだったらしい。現代民話でも「本当にあった」とされる不思議な話に登場するなど、さまざまな面で影響力を残した人物であった。子供がいなかったため、直接血の繋がった子孫はいないが、親戚縁者からは現在でも尊敬を集めている。
Profile
明治時代後期〜昭和初期に活躍した教師。高陽根分教場主任。楢山矢部家唯一の士族。
幼き頃、戊辰戦争後の混乱によって北へと移り住むことになった武家より、養子として楢山矢部家に刀と共に迎え入れられた。四郎太先生の先祖は戦国時代に会津を治めた蘆名氏の重臣富田氏の一族で代々典医だったらしく、江戸時代には28年間私財を投じて用水路を建設した人物もおり、篤志家の家柄であった。楢山集落で育った四郎太先生は、師範学校に通い教師となり、教育活動と共に近隣集落の経済再生などにも奔走した。その功績は近隣の松峯集落に立つ石碑と、高陽根分校跡地に立つ石碑に刻まれている。
SHIROTA YABE